卑劣な「あおり運転」、卑劣な「あおり報道」
さて、最近「あおり運転」が問題になっていますね。身勝手な思い込みや、歪んだ欲求で人を危険に追い込み、傷つける行為です。昔からあったのですが、このところ死亡者が多発し、何とかしなければと議論になっています。自動車は快適な移動ツールですが、誤って使えば凶器になります。「あおり運転」で被害者が死亡したら「危険運転過失致死傷」で罰せられ、懲役が科せられます。
で、この問題が話題になる時、私は自らの職業に立ち返って毎回、「あおり報道」のことを考えます。報道は、大きな力を持つ政治、行政、企業活動をチェックするため、取材、執筆する権利を一般人から付託された職業だと考えています。だから報道に携わる者は、その人の出来の良し悪しに関係なく、一般人にはないある種の特権的な力を持ちます。しかし、その力を「あおり運転」同様、身勝手な思い込みや、歪んだ欲求を満たすために使えば、それは「あおり報道」です。特権的に認められた力は、即、凶器となり、暴力になり、人や組織を傷つけます。SNSとやらの普及で、ネット上には誹謗中傷やまことしやかなインチキニュースが溢れかえっています。どういうわけか本家本元の報道もSNSの風潮に押されて、急速に劣化してきているように思います。
報道の自由、取材の自由はもちろん大事です。しかし、それを盾に、緻密な取材も、緻密な資料読みも、緻密な思考も重ねず、何の脈絡もなく人や組織を急襲し、混乱に陥れて悦に入る「愉快犯型ニュース」は「あおり報道」の典型です。取材者の良心を信じたいですが、どうやらもうそんな甘いことばかり言っている段階じゃないかも知れません。時代は猛スピードで変化しています。
写真は毎回傍聴者で満員の中医協薬価専門部会。20年度の薬価制度改革論議も佳境を迎えております。それではみなさん、素敵な一週間をお過ごしください。