多くの「メディア」が「ジャーナリズム」から逃げ出そうとしている!!もはや「メディア」と「ジャーナリズム」は明確に区分すべきである。
北朝鮮問題、衆院解散総選挙などで国内外の政治情勢がめまぐるしく動いております。そんな中で、最近、「メディアが劣化した」「ジャーナリズムがだめになった」という声をよく聞くようになりました。私自身の生業に関わる批判であり、大変、耳が痛いご意見です。
確かに、かつては「メディア」といえば、そっくりそのまま「ジャーナリズム」。すなわち「メディア」=「ジャーナリズム」だった。しかし、最近は、それぞれ分離して考えた方がいいように思います。私自身、同じ「メディア」という括りにいる同業でも、その取材、執筆姿勢、行動に、まったく共感を見いだせないケースがままあります。
私は「ジャーナリスト」を名乗っています。というか名乗りたいんです。「そんな大げさな」とか、「かっこつけやがって」とかよく言われます。でも、実は格好つけてるどころか、かなりプレッシャーなんです。言うまでもなくメディアは、他人様の時間をいただき、さらにお話をしていただき、それを記事化、あるいは映像化して世間に発信し、禄を得ている。それだけなら、こんな楽で、いい仕事はない。でも一度、発信した記事、映像は、時に刃となって、組織や人を深く傷つける。場合によっては永遠に。。。私は、だからこそメディアの記者には相応の覚悟がいるし、社会や取材相手に責任を持つべきだと考えています。それで、敢えて自戒を込めて「ジャーナリスト」を名乗っているのです。そうでもしないと、ふわふわと楽な方に流れていき、自分がさも選ばれた特別な人間であるかのように錯覚してしまう気がするんです。
単に、お金が沢山もらえるからとか、取材相手と仲がいいからとか、取材相手が怖いからとか、取材相手が気に食わないからとか、面白いからとか、スカッとするからとか。。。。そんな個人的思惑、自己都合の誘惑には負けたくない!!いや負けないぞ!!と。。そういう脆弱な精神を超えて、できるだけ「公」に資する取材、執筆をする記者として、社会参加していたい。で、自分を叱咤、戒める気持ちを込めて「ジャーナリスト」を名乗っています。
岩波書店の雑誌「世界2017年9月号」で、花田達郎という研究者がこう述べています。「ジャーナリズムは、言うまでもなく「イズム」である。一つの価値意識であり、思想であり、精神の活動である」と。
どうですか?みなさん?重たいですね(笑)。つか意味不明ですか?(笑)でも、私は深く共鳴します。ジャーナリズムはめんどくさいし、重たい。それでいいんだと。。。。今、まさに多くのメディアが、重たく、めんどくさいジャーナリズムから、逃げ出そうとしています。できるだけ軽やかに、てっとり早くお金を稼いで、収益をアップさせたいと考えています。ある意味、ジャーナリズムが貧困に追い込まれてもしょうがない状況でもあるんです。しかし、気骨あるメディアはまだあって、がんばっています。そういうメディアの力を借りながら、今後もジャーナリスト活動を全うします。引き続き、ご指導、よろしくお願いいたします。
写真は近所のスーパーで購入したみかん。Sサイズ。酸っぱくて中々、おいしかったです。これから半年ぐらいは、みかんさんの出番ですね。それではみなさん。素敵な一週間をお過ごしください。
先日、ヒルドイドのニュースをTVで見て井高さんのお名前を拝見したのをきっかけに薬新カフェの過去投稿を拝見しています。
僕は医療業界とは関係のない一介のサラリーマンですが、2日のご投稿には、感銘を受けました。ジャーナリストを名乗る心意気、お考えが伝わってくる内容でした。今後の益々のご活躍をお祈り申しあげます。
丸山さま
コメントありがとうございました。
お褒めいただき、大変、うれしく存じます。
いただいたコメントを大事に、
今後もジャーナリスト活動を続けてまいります。
何かお気づきになる点がございましたら、また是非、
コメントください。
引き続き、ご指導よろしくお願いいたします。
井高 恭彦