研究者、製薬企業、そしてジャーナリストは、 事実を捻じ曲げる「スピン」欲求を滅却すべき
ディオバン問題をきっかけに、大規模臨床試験のあり方が問われています。大規模臨床試験は、たいがい製薬企業がスポンサーだから、その企業の意向が結果に反映されやすい。だから今後は、スポンサーとなった製薬企業の意向を、いかにはねのけて公平中立なる研究を実施し、結果発表できる環境を整えるかが課題になります。ディオバンのように、データ操作まで行っちゃうと、もうそれは「捏造」で、論外なんですが、そこまでは行かないにせよ、過去の試験結果を振り返ると、公平中立とは言えないものが相当数あるようです。なかでももっとも多いのは「スピン」。英語のSPIN(回転)から来ています。自分たちが期待した結果(主要エンドポイント)が出なかったにもかかわらず、データの中からいい部分だけを抜き出して、ことさら、そこを強調する行為を指します。例えば、「心血管疾患による死亡抑制」を目論んで実施したのに、既存薬とほとんど差が出ない。あるいは既存薬の方がいいような結果が出た。しかし、そのまま公表したくないから、死亡抑制でいい結果が出なかったことは伏せて、集めたデータで有利な部分を探します。で、ちょっと差があった狭心症に目を付けて「狭心症の発生を抑制しました!」と大々的に公表するのです。こういうスピンをいかに無くしていくかが、大事なところです。で、スピン。よくよく考えてみると、己(オノレ)らジャーナリストにもそのまま当てはまる。「これはきっと大ニュースになるぞ!」と仮説を立てて、取材してみたが、実は意外に地味な話でしかなかった。でも「みんなをあっと言わせる記事が書きたい」という下卑た功名心を抑えきれない。そんな時、忍び寄ってくるのがスピン欲求です。それを抑えて公平中立であってこその、ジャーナリストなんですが、欲求を抑えきれず、自分が書きたい方向にとって、都合のいい現実の断片だけを拾って、ことさら強調する。アクセス数を増やしたいから、何も決まっていないのにあたかも決まったような断定的な見出しを立てて、読者の条件反射を誘う。あるいは、自分のもっていきたい方向に都合が悪い現実は、無視して報道しない。こんなことばっかやってたら、自分で自分の絞めるばかりです。なぜなら、そんな記事は、人騒がせなだけで、社会的にまったく価値がないからです。研究者、製薬企業だけでなく、己らジャーナリストも、せこいスピン欲求には、なんとしても打ち克っていかねばなりません。
で、写真は上野の不忍池。国立西洋美術館でやっていたミケランジェロ展を拝観した後にブラっと寄りました。ここは年中、お祭り。屋台のおでんがおいしい季節になりました(^^)。それでは皆様、楽しく素敵な一週間をお過ごしください。