本音と建前はめんどっくさい!!
ウソかホントか、わかりませんが、京都人は本音と建前をしっかり区別してると言われます。よく、引き合いに出されるのが、自宅への誘い。仲良くなった京都人に「いつでも遊びに来ておくれやす」と言われ、真に受けて遊びに行ったら、「この人、ホンマに来はったわ」と白い目で見られるという奴です。京都独特の“間”。いわば文化とも言えましょうが、めんどっくさいですよねえ~。己のような直球型には、高度過ぎて疲れます。しかし、最近、関東圏にも本音と建前を使い分ける文化が押し寄せている気ようながします。【知人A】「いい店ですよお~。今度、ご案内しますよ」【己(オノレ)】「酒の席での約束は当てにならないからなあ―」【A】「そんなことないです。絶対、ご案内しますよ」⇒その後、連絡無し【知人B】「そういう取材テーマなら私の知り合いに、適任者がいます。なんだったら、今度紹介しましょうか?」【己】「是非、お願いします」【B】「わかりました!!まかせといてください」⇒その後、連絡無し【己】「久々に情報交換しませんか?」【知人C】「了解。しかし、今月は時間が取れないので、来月にしましょう!再度、連絡いたします」⇒その後、連絡無し。トホホホ、書いていて、これは相手の問題ではなく、己の人望の無さ、不徳の致すところだと実感、若干、みじめな気分になってきました。しっかし、こういうやり取りが、己だけではなく、そこここで行われているとしたら、つまらんことです。己のモットーは、その場の勢いに任せて軽々に約束しない。しかし、一旦、約束したら、確実に果たすってことです。要するに、できない約束はしない。言葉に責任を持つ。それだけのことです。そうしないと、お互いに信頼できなくなり、人間関係が希薄化してしまう。結果、世の中全体が荒涼とした風に包まれてしまうと思うからです。アレ?失礼。今回は、すっかりおっさんの愚痴になってしまいました。
で、写真は、浪速のコテコテ芸人ジャーナリスト、渡邊陽司(ナベ)くんの結婚式!!!いやあ、素敵な時間を過ごさせていただきました。神父さんが読み上げた聖書コリント13章「愛の賛歌」。ジーンときて泣きそうになりました!!己の心は、それほど、殺伐としていたということか?(笑)-愛は寛容にして慈悲あり、愛はねたまず、愛は誇らず、高ぶらず、非礼を行わず、おのれの利を求めず、憤らず、人の悪を思わず、不義を喜ばずして、まことの喜ぶところを喜び、おおよそ事忍び、おおよそ事信じ、おおよそ事望み、おおよそ事耐えうるなり、愛はいつも絶ゆることなし―【抜粋】ジーーン(T_T)。で、披露宴も厳かにいい感じで進行。しっかし、最後はナベの大学時代のギター部の友人たちが、赤褌で、AKBを踊って、完膚なきまでにムードを叩き壊してしまいました(^_^;)しかもですよ。新郎と言う大役を放り出し、いつの間にか、ナベも一緒に踊っている(笑)。やれやれ。ところで、この人たち。どこがギター部なんだ?おい。