プラザキサが「いい薬」だって?!
抗血液凝固剤で、約50年ぶりの新薬として登場した「プラザキサ」。今年3月の発売から8月までに因果関係が否定できない死亡例が5例(推定使用患者約6万4000人)ありました。頻度は様々ですが、このところ、大型化が期待される新薬は、必ず、発売直後に死亡例が出ます。何とかならんものでしょうか?それこそ、MRの腕の見せ所だと思うのですが、またしても防げませんでした。 ところで、今回の副作用報告に絡んで、ある業界専門誌に身を置く人が、まるで発売元のメーカー関係者のごとく、何の論理的な根拠も示さずに、「プラザキサはいい薬だ」なんて、言い切っていて、呆れてしまいました。己(オノレ)は、何も、向こうを張って、「悪い薬」だと言うつもりはないんです。ただ、医薬品を「いい薬」とか、「悪い薬」とか、二元論でバッサリ言い切ってしまうことに、非常に強い違和感を抱くのです。
己は、医薬品を、膨大な実験データに裏打ちされた「科学の結晶」だと考えています。科学は、再現性(一定条件下で実験すると、何度やっても、ほぼ同じ結果が出る)を拠り所にしています。そして、どんな医薬品にも「効果」と「副作用」の両面がある。だから、ある条件下の、ある人々には「効果」が出て、「いい薬」になるし、別の条件下の、ある人々には「副作用」が発現して、「悪い薬」になる。その2つの側面を冷静に受け止め、自らが取材して、価値とリスクを検証し、情報発信するのが、専門ジャーナリズムの役割だと考えています。だから、かりにも専門誌に身を置く者が、新薬を指して、「いい薬」とか、「悪い薬」とか、短絡的な表現で、拙速かつ軽々に、審判を下すべきではない。そういう表現に遭遇すると、発信者の「浅はかさ」「粗雑さ」「傲慢さ」を感じ、時に「憤り」さえ覚えるのです。
確かにプラザキサは、ワーファリンに代わる新薬として大きな期待を負っています。しかし、国内では、まだ発売したばかり。現時点では、絶対的な臨床評価は確立してはいない。ちなみに先日、お会いした、ある循環器専門医は、「使うつもりはない」と言っていました。理由は薬価が高い。何かあっても、すぐに中和できない。飲み忘れると直ちに効果が無くなる。効き具合をチェックする測定法がない―などでした。医者でも、研究者でもない一介のジャーナリストが、まるで、すべてを知り尽くした専門家気取りで「いい薬」とか、「悪い薬」とか、言ったところで何の意味もない。お茶飲み話してる場合じゃないんだよ。取材、検証、考察、取材、検証、考察、取材・・・。もっとも、くだんの専門誌関係者に、ジャーナリストという自覚があるのかどうか、不明ですが。。
で、写真はアブラゼミさま。人の世の大惨事を見て自粛したのか、今年の夏は、まったく蝉の声を耳にしませんでした。しかし、先週末、猛暑から一転。秋の香漂う曇り空の下、通りの植え込みの木に、しっかりへばり付いて、ジージー鳴いる気高き御仁が。暮れ行く夏。変わる季節の境界線で、残り短き生命を精一杯、燃焼しているようで。。ちょっと切ない昼下がり。
※今週は、言いたいことが沢山あるんです。だから、少なくとも後、一回は更新します。次は24日の予定です。みなさま。是非、遊びに来てくださいね!!